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盛岡家庭裁判所 昭和39年(少)963号 決定

少年 S・H(昭二四・一・一生)

主文

少年を初等少年院に送致する。

理由

(本件非行に至る経過)

少年は、昭和二四年一月一日父S・T、母S・K子間の二男として本籍地で出生し、昭和三九年三月郷里の中学卒業後、岩手県二戸郡○○町の塗装店で働くことになつたが、同年四月下旬、母の懇請により、帰郷して農業に従事することになつた。父S・Tは、怠惰で、飲酒にふけり、昭和三二年ごろ、その父S・Yが死亡した後は、酒量も増加し、そのため、山林や畑を売却し、一家の生活は次第に苦しくなつてきたが、「おれの財産だから、おれの勝手にする。」等と称してかえりみなかつた。そのうえ妻や子供たちを虐待することも著しく、あるいは暴力をふるい、あるいは寒中に戸外へ追い出し、食事を与えないというようなことを繰り返していたので、少年は父に対して次第に憎悪の念をつのらせてきた。

昭和三九年七月○○日、S・Tは、少年の妹S・T枝(当時九年)を虐待し、その夜、酔つて帰宅し、同女とS・A子(当時一一年)との両名を雨の降つている戸外へ追い出し、翌○○日には、またその両名に朝食を与えず、少年や少年の姉S・H子のとりなしもききいれず、たまたま通りかかつた隣家の人のとりなしで、しぶしぶ食事をさせたのであるが、昼になると、こんどは、末子S・O(当時六年)と二人だけで食事をとつて、他の者の食事を禁止した。さらに、少年は、その日の夕方、近所の人から、S・Tが山林や畑を他に売却しようとしていることをきき、「これ以上、山林や畑を売つてしまえば、生活が出来なくなる。遂には自分達兄弟姉妹も、父のために、売られるのではないか。」と心配になり、家族の困窮を救うために、いつそ父を殺してしまいたいと考えるようになつた。

(非行事実)

少年は、

一、昭和三九年七月○○日午後八時ごろ、父S・T(当時四三年)が酒に酔つて帰宅し、岩手県九戸郡○○町大字○山○○○番地の自宅常居の間で寝ているのをみて、同人を殺害しようと決意し、台所からもち出した、長さ約七〇センチメートル、直径約五センチメートルの薪で同人の後頭部を数回殴打し、さらに長さ六二センチメートル、直径七ミリメートルの耕運機始動用ロープを同人の頸部にかけ、その両端をにぎり、右足を同人の右肩にかけて強く締めつけていたところ、少年の姉S・H子(当時一七年)がその場にやつてきて、その有様をみているのに気がつき、同人に対し、「この綱を引つぱつてろ。」と申しむけ、ここに同女と共謀のうえ、両名で、かわるがわる、上記ロープをもつて同人の頸を締め続け、よつて同日午後八時三〇分ごろ、同人をして、窒息のため、死亡させ、もつて自己の直系尊属である同人を殺害し、

二、上記S・K子、S・H子の両名と共謀のうえ、同日午後八時三〇分ごろから、同九時三〇分ごろまでの間、上記自宅において、上記犯行を隠秘するため、上記S・Tの死体を遺棄しようと企て、その死体を、ござに包み、耕運機の荷台にのせて、同町大字△△地内を流れる×××川の△△橋から下流約五〇〇メートルの地点まで運搬し、同所付近の川中に投げこみ、もつて上記死体を遺棄し

たものである。

(法令の適用)

一の事実 刑法六〇条、二〇〇条

二の事実 同法六〇条、一九〇条

(処遇)

本件調査審判の結果によれば、少年を少年院に収容して、人命の尊さについて考えさせ、自己の犯した罪についてよく反省する機会を与えるのが相当であると認められるので、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条二項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 元村和安)

編注 少年の姉S・H子は昭三九・九・八中等少年院決定

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